今年は災害の当たり年みたいなんで、ついついそういうことを考える機会が増えています。
いや、そりゃ避難した時にでしょ?当たり前じゃん!?
みたく言わないで下さいね。そんなことはヤンメイも分かっているのです。しかし、非常食を買い換える度にある疑問が頭をよぎるのです。「これを使う機会ってあるのかなぁ?どういう時に使うのかなぁ?」
いや、決して災害を他人事と思ってる訳ではないんですよ。でも、使うシチュエーションの想像が難しいのです。
???
一体何をいってるのか?
ヤンメイの危惧を聞いてやって下さい。
非常食を使う時とは
どういう時に非常食を食べるのか?
基本的には災害時。ヤンメイのイメージだと地震や水害などで避難が必要な時に、避難所で食べる感じ。あとは、停電とかで調理が困難な時に、自宅で代打的に使うとかでしょうか?
そもそも、働いている人の自宅にいる割合を考えると。避難が必要な時に都合よく家にいられるのか?そうじゃないと、非常食の持ち出しからして実は困難な訳ですが。そこからダメだと早速話が詰んじゃうので、まぁスルーして下さい。
でね、後者はいいのです。自宅で食べる分にはね。カセットコンロなどで火が使えれば、非常食どころか、普通の調理すら可能かと。実際には水が使えるかどうかもあるとは思いますが。
でも、いつも気になるのは前者。避難先で食べるかも知れないシチュエーションです。
避難先にて…
災害の報道だと、なんか体育館に避難しているイメージがありますよね?なので、セオリー通り(?)、体育館に非常食を持って避難できたとして。
で、東京でそんなレベルの災害時に、外部からの助けとか速やかな食料の提供とか、あまり期待出来ないんではない?と。
いや、だからこそ、非常食の出番なんですけど。
当然避難している方でも、非常食の準備はまちまちじゃないですか?ハナっから準備していない人、持ち出せなかった人、バッチリ数日分確保している人。
さて。よく言われている問題点で、避難所では個人のスペースが狭いとかプライベートが確保出来ないとかが指摘されています。
さぁ、ここからが本題ですよ。そういう、他人との距離があまりない、限定された空間で。各自の食糧事情も分からない中で。匂いとかも筒抜け、下手したら食べている姿も丸見えな中で、
あなたは自分(とその家族)だけ、食事が出来ますか?
って話です。
公共心の範囲?
こんなこと心配するっておかしいですかね?
ヤンメイ、非常食の準備の度に毎回思うのですけど。冒頭の「使う機会あるのかな?」っていうのは、そうした自分だけ安全圏みたいな状況で、エゴに徹する心臓はあるかな?ってことです。
だって、仮に目隠しとかあったとしてもよ?空腹時にクラッカーの匂いとかさせたら。確実に匂うじゃない?誘惑を撒き散らして、下手したら「お母さん、お腹空いた〜」みたいな子供の声を聞きながら、自分と家族だけでその腹を満たすって、ちょっとハードル高いわ。
そもそも、僅かしかない食料を公平に分け合うって、それも難しいし、分けたとしても一人当たりの量なんてすずめの涙ですよ。やっぱりギリギリのところで、我と家族を優先したいと思ってしまいそうだな、と。
中国では
妻にこの件についてどう思うか訊いてみたところ、「基本はアリとキリギリスだろう」と。自己責任というかね。前もって用意して備えていた人が利益を得るのは当たり前である。全然気にする必要はない、と。
そうね。確かに。
まぁ、実際、その場に及んでまるで気にせずに家族だけで物が食べられるかは正直疑問ですが。そうした割り切りは分かります。自分が自分の為に用意したのですから、遠慮なく使おう、ということですね。
異議なし!個人事業主の心意気とも通じる部分があります。
中国の非常食
ちなみに、中国では非常食の備えはどうなっているかというと。
備えはなし!
清々しいくらいに潔いです。
というかね。中国、そんなに地震や台風が頻発しないので、基本的には備えないそうです。
そうだよね。非常食の備蓄が当たり前とか、災害慣れしている国の人の感覚ですよ。そもそも前提が違う。基本、地震は起こらない。当然備えもしない。
国や地域が違うと前提も違うものですね。自分達の当たり前は、他国人には当たり前でない。そんな当たり前のことに今更気づかされました。
そんな、避難所で自分達だけ非常食を食べられるの?という、前提から大甘なシチュエーションを想像したお話でした。メンタル鍛えないと正直無理かなぁ。