避難訓練といえば、小中学校で定番の行事(?)でしたよね。授業中、地震とか火事とかが起きたという想定で、安全に教室から逃げる練習をするあれです。最近の学校では不審者が校内に侵入してきた場合の訓練もするみたいですね。
ただ、中国の避難訓練はそれらとは全然違うみたいです。話を聞いてみると避難訓練といっていいのかどうか。いや、避難訓練の一形態なのかも知れないけど、同じ単語で括るには雰囲気違い過ぎるので。退避行動練習という方が近いのかな。
今回は、安倍元首相の銃撃事件を受けて、浮き彫りになった日中の避難訓練の違いについてのお話。
日中要人警護
安倍元首相の訃報は中国人にもインパクトを与えているようですね。基本的に安倍さんは中国人の心象が良いので、悲報として伝わっているようです。
それはそれとして、中国人に驚きを与えているのは、日本の要人警護の緩さです。中国では良くも悪くも未だ影響力を持つ首相経験者が、あのような警備体制で人前に出ることはないそうです。もう、ガチガチの警護をされるのが普通なのだとか。
そう考えると、日本の選挙演説なんてめちゃくちゃスキだらけです。何しろ、聴衆と写真撮ったり握手しちゃったりする距離の近さも、親しみやすさを演出する手段となっていますから。それだけ安全だという前提なのでしょうが、警備する側としては悩ましいだろうなぁ。
伏せない日本人
そして、もう一つ妻を驚かせたことが、銃撃時の映像に映る人々の反応です。「伏せている人が誰もいないじゃないか!?」と。もちろん、本職っぽい人は反応してましたが、それも2発目の発砲からのアクションがほとんど。
ヤンメイ:まー…そうだね。
ヤンメイ妻:なんで伏せないの?
なんで?…危ないと思わないから?
まぁ、これが一般的な日本人の感覚なんじゃないでしょうか?
銃声、爆発音、破裂音。これらの音が聞こえても、「えっ、何なに?何の音?」くらいの反応で、自分の身に危険が起きているとは感じないと思います。むしろ、何だろう?とキョロキョロ辺りを見回してしまいそうです。
下手すると、血を流して人が倒れたとしても、撮影とかドッキリとかと思って信じられない人がいるかもしれません。
そう、日本では爆破とか発砲事件というのは起こらない前提です。昔よりは無関係な他人を巻き込んだ刃傷沙汰なども増えた気がしますが、それでも火器を使う事件というのはほぼ想定外だと思います。
中国の避難訓練
中国の避難訓練で想定される事態というのは、こういう火器の使用、発砲や爆破も含まれるそうです。なんらかの爆発音、破裂音、銃声などがしたら、身を伏せるようにして身体を屈める、という練習を子供の頃からするんですって。
もちろん、中国だって銃社会ではありませんし、中東やヨーロッパよりテロは珍しいものです。それでもやはり、「大きな音がしたら身体を小さく屈めて低い姿勢をとる」という警戒は教わるのだそうです。
そう、幸いなことですけれど、比較的治安の良い日本で生まれ育った我々は、日常の身体に対する危険に非常に鈍感なんですよね。外国人から見ると驚くほど日常の警戒心がなく見えるみたい。
実際、昔の避難訓練は火事や地震などの災害しか想定していませんでしたからね。その点では、不審者訓練をするようになった現在は、もう少し日常の危険への備えが出来てきたのでしょうか。残念なことでもありますが。
とは言え、中国って結婚のお祝いとか正月はやたらと爆竹鳴らすんですけど。それで伏せてる人とか見ないしなぁ。慣れているから爆竹音と爆発音は区別が付くとも思えないんですけど。
ともあれ、そんな風に中国と日本だと避難訓練と言っても、想定する事態も行動も全然違うよ、というお話でした。